実家は市内だったから
大きく被災したわけでもなく
プロパンガスだったし、水も井戸からの汲み上げだったので
生活にはそんな支障が出なかった。
兄弟2人とも家を出て、親父とお袋の二人暮らしだったから
心配はしたがそこまで大変だという話は聞いていなかった。
すこし環境が落ち着き始めて、放射能の問題が大きくなってきて
周りの親戚に風呂を貸したり水を配っていたことが気にしたりしていた。
定年してアルバイトに行っている親父の趣味は鮎釣りだったけれど
放射能の問題で鮎釣りは禁止されてしまったし
遠方にすんでいる孫は実家に来るとどんな影響が出るか分からないから
顔を見せにくることもできなかった。
庭に穴を掘られ除染した土を埋められたり
ご近所は海側から引っ越してきた知らない顔がふえて
ショッピングセンターやパチンコ屋には仕事がない人が
ソファーに座ってダラダラしていた。
そんな状況もしばらく過ぎて
市内のそこかしこにあった仮設住宅もあらかた無くなったころ
親父は癌になって1ヶ月で亡くなった。
孫がミニカーを走らせられるように廊下の長い家を作ったり
冬には鮎釣りの仕掛けをコツコツ作ったり
仕事が終わっていろいろ楽しみにしていたんだろうにな。
あれが無かったらどうだったのかなと
あれだけの被害があったなかでは
ものすごく個人的でどうでもよくて
仔細なことなんだろうけど
やっぱりそんなことを考える。